<メディアの過度な“煽り”に翻弄されるサポーター>“手のひら返し”が起こる要因は?「忖度ジャパン」はすでに黒歴史?

選手はプレーすることで対価を得るが、サポーターたちはその行為で1円も得ることはない。アウェーともなれば渡航費や滞在費はかさむ。そればかりではない。大きな大会となれば費やす時間もまた相応にかさんでくる。言わば大いなる自己犠牲の上に成り立つ行為である。そんな彼らサポーターは、いまやこの国のサッカーを構成する不可欠な存在となった。ロシアの地でも思い思いのスタイルで声を枯らし、喜び、嘆き、また声をあげ、試合後にはゴミを拾って各国のメディアに称賛される彼らの姿がある。日本のサッカーの進歩を時に寄り添い、時に叱咤しつつ目前で見つめてきたサポーターは、今回も立場を超えて選手とともに戦っている。ここではそんな影の主役たるサポーターにスポットを当ててみたい。

■かつては牧歌的な応援だったサッカーファン サポーターに確固たる“定義”はない 

 日本におけるサポーターの歴史はいかにして刻まれたのか。週刊サッカーダイジェスト元編集長の山内雄司氏は語る。「1993年のJリーグ創設以前は今日のような自発的かつ統制のとれた応援はありませんでした。私も学生の頃はトヨタカップ(現在のクラブワールドカップの前身)をはじめとする大会や日本リーグなどよく観戦に行きましたが、自転車に付いているパフパフホーンを吹いたり、ゴールチャンスには『ゴール!! ゴール!!』なんて周囲の人たちと掛け声をする程度でした」と述懐する。

 当時はインターネットもなく、情報が少なかった。海外のサッカーは『ダイヤモンドサッカー』(テレビ東京)で観られる程度。そこでは海外クラブのサポーターたちが発煙筒を焚いたり、コレオ(グラフィー)をしたり、一斉に歌ったりしていて、「凄いなぁー」なんて思ってはいても、それはあくまでも遠い海外の話だった。しかしJリーグが出来るとなって、それらを自分たちでやろうと行動力を示した人たちがいた。「彼らは海外の応援風景をベースに、試行錯誤しながら日本の独自色を加味していった。現在の礎を作った立役者と言えます」

 しかしながら、こうして生まれたサポーターの定義は明確なものではない。スタジアムに何回来たからサポーターに格上げ、とか、何日費やしたからサポーターと言うものでもない。いわゆる“コアサポ”や“にわか”の線引きも曖昧だ。メディアもサポーターという単語を、時として個人にも集団にも用いる。メディアのこうした曖昧さがポジティブにもネガティブにも働くことがある。

つづく

写真https://amd.c.yimg.jp/amd/20180627-00000354-oric-000-20-view.jpg

6/28(木) オリコンニュース8:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180627-00000354-oric-ent